ICANにノーベル平和賞、は間違いだ。
※最悪だ。
今年のノーベル平和賞は実に「奇妙な」選定であった。そう言う他ない。
その受賞理由は今年7月に採択された「核兵器禁止条約」に関してで
「核兵器がもたらす壊滅的な結末への注目を高め、条約の採択などに向けた画期的な努力をたたえて授賞する」
と、している。また、選考委員会は
「世界には北朝鮮のように核兵器の獲得を目指す国が増え、核兵器の脅威はこれまでになく高まっている。国際社会はこれまでに地雷やクラスター爆弾などの禁止に合意してきた。核兵器ははるかに破壊的であるにもかかわらず同じような法的な禁止の枠組みがなかった」
「ICANはこのギャップを埋める役割を担った。核兵器が人類に受け入れがたい苦しみをもたらすものだという重要な議論を引き起こした」
「ICANはこのギャップを埋める役割を担った。核兵器が人類に受け入れがたい苦しみをもたらすものだという重要な議論を引き起こした」
と、ICANの活動を評価している。コレに対して日本政府はコメントを避けている。
一見すると「核兵器禁止条約」と言う「国際的な核兵器廃絶運動のきっかけ」となったのだから受賞は妥当で、祝福コメントを出さない日本政府の対応がどうかしている、と思えるかもしれない。言うまでもない事だが日本は「世界唯一の『戦争被爆国』」であるにも関わらず、だ。記事が朝日新聞なだけに一層そう思えるかも知れない。日本も勿論
※「核兵器禁止条約」は「核の脅威」と無縁の国が賛成した条約だった。
上記画像を見れば一目瞭然だが、この条約に賛成している国の大半が
「自国に対する『核の脅威』が殆どない」
国である。一方「核を持っている」国の参加は皆無である。つまりこの条約が発効しても肝心の核保有国が条約に拘束されない為、
「『名』は取れても『実』は取れない」
のである。それに何処まで「意義を見いだせる」のだろうか?日本政府が求めているのは『実』、即ち
「核保有国の『核放棄』」
である。しかも日本の場合支那やロシア、と言った核保有国が複数あり、しかも日本の領土を侵略しようと企んでいたり、既に不法占拠していたりしているのが現実だ。そして北朝鮮。9月3日に核実験を行ったが、「核兵器禁止条約」の採択後の話だ。それだけでも北朝鮮の核開発に対してこの条約が何ら役に立たなかった事は明白である。
※「核兵器廃絶」と言う国際社会の声はコイツの前では無力。
そもそも選考委員会のコメント
「今回の授賞がICANの目標を達成するための新たな機運の高まりにつながることを願っている」
から読み取れる様に
「実績を評価して」
と言うより
「『これから』の期待値込みで」
この団体、世界各国の団体から構成されているそうだが、日本からは「ピースボート」が構成団体として名を連ねており、ピースボート共同代表の川崎哲はICANの「国際運営委員」でもある。そのピースボートが有数の「北朝鮮シンパ」なのは日本では公然と知られているのだが、選考委員会はそこまで考えなかった様だ。
「北朝鮮の核開発を黙認」
するに等しい結果を生む。日本政府が素直に祝福コメントを「出せない」のも当然である。
ノーベル賞の授賞式では受賞者のスピーチが行われる。「ICAN」の誰がスピーチするのかなどどうでもいいが、北朝鮮の核開発についてどうコメントするつもりなのだろうか?流石に容認する発言は出ないだろうが、「核兵器廃絶」を掲げて受賞しておいて「北朝鮮の核開発を非難しない」事はあってはならない。明確に受賞スピーチで「北朝鮮の核開発を非難しない」なら
「その場で受賞取り消し」
する位の「覚悟」が選考委員会には求められる。それだけ
と言うのは「馬鹿げた事」なのである。
※しかも選考委員会はその意味を理解していない。
…仮に「核兵器禁止条約」を「国際社会の総意」と認めたとしても
「北朝鮮の核開発を止める役には立っていない」
と言う事実は変わらない。彼等の活動が北朝鮮に核開発を断念させ、核放棄に舵を切らせたのなら「ノーベル平和賞に値する」事に異論を唱える人はいないだろう。だが現実は逆で北朝鮮の核開発は止まらず、脅威は増す一方だ。必要なのは
「核保有国にどうやって核放棄させるか?」
なのだが、ICANはそれに対する「答え」を持っているのだろうか?授与スピーチで何を言うのか?注目に値するが、この判断は
「間違い」
である事だけは確かな様だ。
※その意味が判らないのが「脳内御花畑」の証左。