やっぱり民進党を売っていた前原誠司


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希望の党に合流しての選挙戦、と言う

「党代表が自党を売った」

奇妙な選挙戦に敗北し、その責任を取る形で辞任を表明した前原誠司民進党両院議員総会では批判と責任追及の声で紛糾したのは当然の成り行きと言えるが、「その決断」に至るまでの過程、と言うのも尋常ではなかった様だ。
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民進党希望の党との合流方針を了承したのは9月28日の両院議員総会だった。前原誠司によると候補者調整に入る前段の話し合いを始めたのは「9月17日くらい」の事だったと言う。小選挙区での候補者選定について前原誠司は「民進党からの公認候補200人、希望の党から100人にすべき」と主張したそうだが、希望側は半々を要求してきたのだと言う。交渉の結果、1回目の190人の候補者のうち、110人が民進党出身者となった、との事だが問題なのは9月30日に正式発表された希望の党日本維新の会による候補者のすみ分けについても

「21日に聞いていた」

と、認めた事であろう。つまり前原誠司希望の党に合流すれば大阪の選挙区で立候補予定だった民進党公認内定者が希望の党から出馬不可能になる事を承知で合流を選択した訳だ。切り捨てられる仲間がいる事を前提にし、その上それを隠蔽した上での合流だった訳だが、

「あの選択しかなかった」

と言うが本当にそうだったのだろうか?

「(すみ分けで)候補者の居場所をなくしたことが大問題だ」

と言う批判が出るのも当然と言えるだろう。もっとも前原誠司

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9月末の時点でこの様に発言していた。この時点で前原誠司は大阪の民進党公認内定者が切り捨てられる事を承知していた訳だが、それは

「『政権交代』と言う大義

の前では「細かい話」に過ぎなかった、と言う事らしい。

時としてトップには「非情な決断」が求められる事もあるが、コレでは前原誠司の手では

政権交代は出来ない」

と自ら証明しているに等しい。こういう時に仲間を守れない人間がどうして総理として国民を守れると言うのか?それとも

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「安倍政権を必ず倒す」

為ならどんな手段でも許される、とでも考えているのか?

いずれにしてもこの決断は失敗であり、前原誠司の影響力も甚大なダメージを受けた事に変わりはないだろう。一議員としてはともかく、どの党であれ党首や要職には推しづらくなっただけだ。30日中にも辞任する様だが、もう二度と出てこなくても誰も困らない。「野合」が如何に無意味なものかを知らしめただけで前原誠司の役目は終わった、と言う事であろう。