愚劣なる国連事務総長の差別発言
※こ奴、最低クラスの国連事務総長だったか。
6月4日は「天安門事件」があった日。支那共産党の弾圧による犠牲者はアメリカイギリスによると1万人を越えている、と言われている。支那共産党は「319人」としているが、丸腰の市民相手に軍が実力行使で弾圧した事を屁理屈並べ立てて事実を歪曲して正当化するどころか、事件そのものの「風化」を謀っている。実際支那では事件後に産まれた世代では「天安門事件」を知らない人が多いのだと言う。
「特にコメントはない」
と、コメントしているにも関わらず、である。
当たり前の話だが、「集会の自由」「表現の自由」と言った権利は支那人だろうがスーダン人であろうが認められて然るべき「基本的人権」である。民主化を求めてデモを行った市民を軍が弾圧し、死者が出た。天安門事件もスーダンでの事件も構図は同じだ。グレーテスの発言は
と言っているも同然で、世間ではそういうのを「差別」と言う。国連事務総長ともあろう者が平然と「差別発言」を行った訳だ。その時点でこの者に国連事務総長なんて重職が務まる筈もない。その資格も資質も欠如している、と判断するよりない。
また、グレーテス同様に天安門事件で支那共産党を批判できないヘタレ共に「人権」だとか「自由」を語る資格はないと言える。国連安保理の常任理事国だとか分担金の支出世界2位だとか、そんな事は一切関係ない。それだけの責任を負っている、と言う自負があるなら「基本的人権」と言う「人類普遍の価値観」は最低限守って貰わないと他の国の模範にはなれない。また、基本的人権さえ守れない様な国が安保理で常任理事国面している、と言うのは国連の存在意義に反し、「基本的人権」と言う人類普遍の価値観を冒涜している。国力や他国への影響力なんて要素は一切関係ない。それが出来ない、と言うなら安保理から去るべきである。
尚、スーダンの事件では英独が市民弾圧を非難する報道声明を安保理に提案したが、支那とロシアが反対して頓挫した、と言う。これらの経緯を見ても支那とロシアが世界平和、基本的人権の尊重と言う要素の足を引っ張る存在なのは明白だ。そしてそれらの毒まんじゅうに冒された様な奴が国連事務総長、国連が世界平和と言う「人類共通の夢」を実現出来ない「クソの役にも立たない組織」である理由はここにあると言える。「国連中心外交」なんて妄想でしかない事もこの一件を見れば火を見るより明らかである。
※国連も所詮は「既得権益の塊」でしかない。