「嫌韓」の意味を理解しない国会議員
白眞勲は
「お互いが相手は自分と同じ感覚だろうと思い込んで、自分の国の物差しで相手をはかろうとする。違いを認めて、違いを楽しもう」
「『自分たちは悪くない。すべてあいつらのせいだ』という考え方はよくない」
と言う。一見もっともに思えるかもしれないが、「そもそもの前提」からして間違っている。
「お互いが対等でかつ各々の主張にそれなりの『理』がある」
場合である。だが、最近日本人が支那朝鮮へ反感を持つのは
からである。誰が何と言おうがそこを無視した主張は何ら意味がない。
・国際法無視
・歴史に対する嘘
と言う要素に集約出来るが、日本人の「反発」はそれらに対してのものであって、そもそも日本が支那朝鮮に対して負い目があったり、また支那朝鮮の主張に「理」がある訳でもない。だから支那朝鮮の「反日」の根拠となっている主張は「全否定されるべきもの」でしかなく、それらを認めろ、と言う主張は本人の意図どうであれ、「支那朝鮮に肩入れしている」結果しか産まない。白眞勲は口を開く前にまずはそれを認識すべきであった。
だが、それでも
「自分達の主張だけで相手の主張を全否定するのは差別だ」
と言う人も居るかも知れない。確かに「支那人だから」「韓国人だから」と言う理由だけでその主張を全否定するのは「差別」と言える部分もあるだろう。だが、それはあくまでも彼我どちらの主張にもそれなりの「理」があれば、の話であって、
「真実と嘘を同列に扱う事は出来ない」
のである。その意味が理解出来ない者に差別だ何だと口を挟む資格はない。
「国際法を遵守し、相手を尊重する精神」
「相手の国際法無視や嘘出鱈目を認める」
事は「真の友好」には決して繋がらない。実際にそうなっている様に「相手を増長させる」だけだ。それが出来ない人間は議員として居るべきではないし、そういう政党に政治をさせてはならない。来る参議院選挙ではその民意を示さなくてはならないのである。